何だったかな、ずっと昔に子供の番組で流れていた曲。かつてはあんなにいっしょに遊んでいたぬいぐるみ、ひもで引っぱる車のおもちゃ。夜寝静まると箱から一斉に飛び出してがちゃがちゃ音を立てて踊っている。
今日日、断舎利(使うのを躊躇う言葉だな)作業でこれらのものを振り分けるのは割と簡単だ。それよりも、おかしな付加価値が邪魔して家に残ったものが大切に大切にしまわれちゃうことに目が向かないのはどうしてなのだろう、と自問してみる。きっと夜な夜な集まって自分たちがいつここから出られるのか話し合っているに違いないな。一時停止した彼らの時間を進めてあげなくては。
例えば、綿花。
いつかはなにかにと思って早何年。種から育てた木に実がたくさんついて弾けた白い綿が庭をにぎやかにして喜ばせてくれていたにも関わらず、長い間ほったらかし。やっと先月種と綿に分けて順次糸にして織ってもらう段取りをつけた。
例えば、手作り石鹸のかたまり。
いっとき夢中になってよく作っていたものの残り。溶かして固めるだけの作業をどうして怠け続けていたのだろう。これまた台所の流しの下で出番を待っていた月桃の抽出液を見つけて、少し混ぜてみたら立派な琥珀色のがたくさんできた。近々会う人たちに、お配りしよう。
それと東洋の手技療法。
昨年の初めに友だちから誘われて講座に参加した。何もかもが初めてで戸惑うことも多かったけど、大変有意義な五日間を過ごした。その後周りの人たちにお願いして体に触らせてもらったり、新しい目をもって積極的に施術を受けに出かけたりしていたが、現在その活動は一時おやすみせざるを得ない状況で、あんなに頑張って得た知識も大切な思い出に変わりそうだったのだが、習ったことを使って自分の体で色々試しているうちに「他人の手を借りるのもいいけど、自分の体を自分でもっと知りなさい。」と、大きい宿題を残してくれた友だちの本心にたどり着けたような心持ちになった。
外国からわざわざ送ってもらった乾物の類、何年も前に買った藍染布、作りかけの小物、書きかけの文章、まだまだ手を付けなければならないものが残っている。どうせ外に出られないんだし、この機会にすべてが報われるよう一掃しよう。