違法菌で苦痛を楽しむのにはまって、隔離一年と「前の世界」での記憶の一部を消されるっていう刑をくらった。あの騒動のあと、極刑も差別もない幸せと喜びに満ちた無菌の世界になって、生活のほぼ全ては仮想の中で賄えるようになった。この「新しい世界」で現実に罪を犯すのは、「前の世界」を断ち切れない老人か、ごく一部の頭の強さがもう少しの自分のような人間だ。
ある日、刑務所の労働中に仮想現実画面の中で他の保菌者と繋がった。国がなくなるほどの威力をもつ菌を狙って研究所を襲った罪で、既にもうここに何十年もいるという。そのじいさんの組織の顧客、つまり自分がぱくられてここに入ってくるのを事前に知って、接触の機会を伺っていたらしい。
じいさんはいつも急に画面の中に現れて「前の世界」から続き今も実在する「いいえ」という言葉が使える酒場のことを少しずつ話してくれた。「新しい世界」では否定という概念は犯罪対象になるため影を潜めているし、だいいち世の中の大体の人たちはそれを知らない世代だ。じぶんも「いいえ」という言葉の意味がよくわからないが、じいさんの話を聞いて、幼い頃に母親が大爆笑しながら見てた「馬鹿野郎」とか「あほ」とか今では誰も使わない違法語を云ってる動画を思い出した。その酒場では時々そういうのが流れてるってじいさんは言ってたけど、どんなところなのだろう。どんな会話をしてるのだろう。思いを巡らせ始めた頃合いを完全に見透かしたかのように、じいさんはやっと本筋を語りだした。音楽のことだ。
つづく。