膨風茶と呼ばれる東方美人茶で有名な老街は春を迎えたばかりで、梅に桜そして銀木犀があちらこちらの庭先に顔を出し、久々に感じる柔らかいお日様の下、まずはお宮様へ向かう。特徴的な屋根を見上げ三合院作りの建物へ入っていく。細かいもののひとつひとつゆっくり見たかったのだが、数時間前に深夜便で上陸したばかりの体は眠気をよそへやれなくて、ひと通りざぁっと見てぐるっと回って外へ出た。石段を降りると参道すぐ左手にお店をかまえる杏仁茶のお姉さんがお盆にのった小さな杯を差し出してくれた。温かい杏仁茶は初めてで最初は少し驚いたものの、気がつけばおかわりを頂くために杯を持った手をのばすほど。お店にはほかに黒胡麻などにお砂糖を煮詰めたものをからめてあるお菓子が数種あり、お店の端で北京鍋へ入れた大量の落花生を煎っているお父さんの姿が見えた。
「ささっと回れば一時間もかからないほどのこじんまりした町」と事前に調べた何かに書いてあったが、見どころを丁寧にひとつひとつ拾ったら、半日でも大急ぎな日程になるだろうなぁと、最初の茶荘でお目当てのお茶を頂きながらうすらひとりごとのように云うと、同行の友・鸚鵡からは、次回はここで最低一泊は必要との意見。どんな小さいことにもじっくり時間をかける彼女と一緒だったら、もっと時間がかかるに違いないと頭の中へつけ加えて、杯に残っていたお茶を飲み干した。
それはここへ来る道中にこんなことがあって。
飛行機から降りて新幹線に乗るところで、昨夜からの空腹に何か軽くお腹へ入れようということになり、駅構内の便利商店へ立ち寄った。わたしは新幹線の出発時間が気になり、稲荷寿司と飲みものを手にとってささっと会計を済ませ電光掲示板を見上げた。次に来る新幹線の時刻と携帯電話の中の巴士の時刻表を念の為見なおす。ここでもし乗り遅れると、新幹線を降りた後の乗り継ぎがややこしくなるし、夕方には別の場所で友達との約束がある。
いよいよ列車到着まであと五分という段になり再び便利商店へ目をやると、おでんの鍋の前で楽しそうに具を選んでいる鸚鵡の後ろ姿があった。時間のことで少々あせっていたので近づいてせっつこうと思ったが、次の瞬間、思いがけず心がゆるむ。
わたしのいらだちを露ほども知らず、二・三人前は優に入るであろう容器の底を小さい手のひらで支え、のんきにおでんを選んでいる姿を見ていたら、かりかりしているのがばかばかしく思えてきたのだ。
まったく数字ばかり追うと、ろくなことがない。
この情景は旅の間何度もわたしを笑わせて時に涙が止まらないほどになって少々困ったが、早い段階で旅の相棒の歩を進める速度をつかめたのは、大変大きな収穫であった。
(二〇一七年三月 台湾・北埔にて)